大判例

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大阪高等裁判所 昭和56年(ネ)1295号 判決

昭和五六年(ネ)第一二五一号事件被控訴人、

同年(ネ)第一二九五号事件控訴人

(第一審原告)

小林裕明

昭和五六年(ネ)第一二五一号事件被控訴人、

同年(ネ)第一二九五号事件控訴人

(第一審原告)

小林嘉明

昭和五六年(ネ)第一二五一号事件被控訴人、

同年(ネ)第一二九五号事件控訴人

(第一審原告)

小林寛子

昭和五六年(ネ)第一二九五号事件控訴人(第一審原告)

小林香織

第一審原告小林裕明、同小林香織法定代理人親権者母

小林寛子

右四名訴訟代理人

藤井勲

八代紀彦

佐伯照道

昭和五六年(ネ)第一二五一号事件控訴人、

同年(ネ)第一二九五号事件被控訴人

(第一審被告)

平岡敬造

右訴訟代理人

米田泰邦

饗庭忠男

主文

一  第一審被告の控訴に基づき原判決中同被告敗訴部分を取り消す。

二  第一審原告小林裕明、同小林嘉明、同小林寛子の第一審被告に対する各請求を棄却する。

三  第一審原告らの本件控訴を棄却する。

四  訴訟費用は第一、二審とも第一審原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  昭和五六年(ネ)第一二五一号事件

1  第一審被告

主文一、二、四項と同旨。

2  第一審原告ら

(一) 本件控訴を棄却する。

(二) 控訴費用は第一審被告の負担とする。

二  昭和五六年(ネ)第一二九五号事件

1  第一審原告ら

(一) 原判決を次のとおり変更する。

第一審被告は、第一審原告小林裕明(以下「第一審原告裕明」という。)に対し金五〇五六万五七二〇円、同小林嘉明(以下「第一審原告嘉明」という。)、同小林寛子(以下「第一審原告寛子」という。)に対し各金五七五万円、同小林香織(以下「第一審原告香織」という。)に対し金三四五万円と右各金員に対する昭和四七年一一月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。

(三) 仮執行宣言。

2  第一審被告

(一) 主文三項と同旨。

(二) 控訴費用は第一審原告らの負担とする。

第二  当事者の主張及び証拠関係

次に付加するほかは原判決事実摘示と同じ(ただし、原判決五枚目裏三行目の「保育器に収容し」の次に「、第一審原告らは第一審被告との間で第一審原告の養育管理を内容とする医療契約を締結し」を挿入し、同五行目の「か充満法」を削除する。)であるからこれを引用する。

一  当審における主張〈以下、省略〉

理由

一当事者及び医療契約の締結

1  第一審原告裕明は昭和四七年九月一日午前五時三二分産婦人科開業医である第一審被告の肩書地にある同被告医院において出生した第一審原告嘉明と同寛子との間の子であり、同香織は同裕明の姉であること及び第一審原告裕明は生下時体重一三二〇グラム、在胎週数二九週の未熟児であつたことは当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉によれば、第一審被告は未熟児保育器二台を設置して未熟児の保育医療も行つていたことから、第一審原告裕明が未熟児で出産したことによりその直後において、同原告の両親第一審原告嘉明、同寛子及び両名を法定代理人とする同裕明と第一審被告との間で、未熟児である第一審原告裕明を保育医療することを目的とする医療契約が黙示に締結されたことが認められる。

二第一審原告裕明に対する診療経過と同原告の失明に至る経緯

前記認定事実、〈証拠〉によれば以下の事実を認めることができる。

1  第一審原告裕明は昭和四七年九月一日午前五時三二分の生下時体重一三二〇グラム、在胎週数二九週で出生した極小未熟児で(出産予定日同年一一月一二日)、出産時に仮死は認められず呼吸をしていたものの、全身にチアノーゼが出ていた(ただし、最重篤とされる口腔内粘膜にまでチアノーゼが及んでいたものではなかつた。)。そこで第一審被告は第一審原告裕明を直ちに保育器に収容し、毎分0.3リットルの割合による酸素を充満法により投与し、流量計によりその量を一定に調節した。同日午前八時二〇分には第一審原告裕明のチアノーゼは顔面を残して消失した。

2  翌二日、午前一時に黄色吐物を出し、午前一一時三〇分に黄緑色液五CCの嘔吐形跡が認められた以外第一審原告裕明に変化はみられなかつた。

3  翌三日、第一審被告は、午前九時ころ第一番原告裕明に対し、鼻腔からカテーテルによりブドウ糖液三CCを、午後零時ころミルク二CCと水二CCを各投与して栄養を補給したが、同原告において心配されたチアノーゼの増悪や呼吸困難は起こらず、午後一一時に至り顔面のチアノーゼも完全に消失したので、酸素投与を止めた。

4  保育器内の第一審原告裕明に対する酸素投与は、以上のとおり昭和四七年九月一日午前五時三二分すぎから同月三日午後一一時までの二日と一八時間弱の間毎分0.3リットルの割合による充満法によりなされたが、第一審原告が後日同一保育器で実験した結果によれば右保育器に毎分0.3リットルの割合により酸素を投与したときの保育器内酸素濃度は約二三パーセントであつた。

5  第一審原告裕明はその後も保育器内でミルクや水を与えられて保育されたが、呼吸障害等の異常をおこすことはなく、昭和四七年一一月一〇日(生後七〇日)保育器から外に出され、同月二一日(生後八一日)体重二六七〇グラムとなつて退院した。

6  ところが第一審原告裕明が帰宅してすぐ同原告の祖母(第一審原告寛子の母)永田千代子は第一審原告裕明の両眼が異常に透き通つて見えることに気付き、翌二二日午後第一審原告嘉明が同裕明を連れて第一審被告医院に受診しようとしたが既に診察時間は終了したと言われて診察を受けることはできず、翌二三日の祝日後の同月二四日再び第一審被告医院を訪ね、第一審原告裕明の両眼の異常を訴えたが第一審被告は「退院したての子が眼の見えないのは当然である。」と言つてとり合わなかつた。

7  そこで第一審原告裕明は同月二五日眼科医伊賀井の診察を受けたが、両眼とも失明していると告げられ、同日兵庫県立西宮病院眼科医柴田正二、同月二七日大阪大学医学部附属病院眼科医真鍋禮三、同年一二月一九日天理よろづ相談所病院眼科医永田誠の診察を受けたところ右医師らは同原告を診察のうえ、両眼とも失明し白色瞳孔を呈し網膜芽細胞腫の可能性もあるが、本症の瘢痕期Ⅴ度(後記オーエンスの分類による。)の疑いの方が強いと各診断した。

三第一審原告裕明の失明の原因

第一審原告裕明の失明原因につき、第一審原告らは本症によるものと主張し、第一審被告はこれを争い第一次硝子体過形成遺残によるものであると反論するので判断する。

1  〈証拠〉によれば、第一審原告裕明のように眼底が白色瞳孔を呈して失明に至る原告疾患としては本症以外にも網膜芽細胞腫、第一次硝子体過形成遺残、網膜異形成症候群等があり、眼底検査による症状進行状態の把握がなされていない場合には本症との鑑別を要するとされており、柴田正二、真鍋禮三、永田誠らが第一審原告裕明を診察して網膜芽細胞腫の可能性もあると診断したのは前記認定のとおりであるが、同疾患は癌の一種であつて同原告が今日まで存命していることから右疾患に罹患していたことは完全に否定されること、第一次硝子体過形成遺残は同原告の白色瞳孔に至るまでの間の眼底検査所見がないためこれを否定しうる資料に乏しいが、同疾患の発症はきわめて珍しく(大病院の眼科で年間数例程度)、しかも片眼に発症する場合が多いこと(前記のとおり同原告は両眼に発症した。)、本症以外のその余の右疾患の発症も稀有とされていること、以上の各事実を認めることができ〈る。〉

2  以上の事実と既に認定した第一審原告裕明の出産時の状況、酸素を投与された状況と後記本症の症状及び原因からすれば、同原告の失明原因たる疾患は本症であると推認するのが相当である。

四未熟児網膜症(本症)についての今日における知見

〈証拠〉によると以下の事実を認めることができる。

1  本症の症状

本症は生下時体重一五〇〇グラム以下、在胎週数三二週以下の極小未熟児に多く発症するもので、網膜の未熟性を素因として網膜新生血管の異常増殖のため網膜剥離を起こし、失明ないし強度の視力障害に至る疾患である。しかしながら本症が発症しても途中で進行が止まり、自然治癒する場合が多い(自然治癒率は八〇ないし八五パーセントとされている。)。

2  本症の原因、機序

通常の場合、胎児の網膜血管は網膜上において在胎八か月で鼻側周辺まで、在胎一〇か月で耳側周辺まで各達するが、未熟児で出産した場合には網膜血管の発達が未熟のため網膜上に無血管帯が存在し、又網膜血管中の血液内の高濃度血中酸素が未熟な右血管を収縮、閉塞させ、その周辺部に虚血状態が起こり低酸素状態となることから、酸素不足を補うため閉塞した網膜血管のすぐ横付近から新生血管が網膜上の無血管帯に異常増殖し、その新生血管により網膜の牽引剥離が引き起こされる。

未熟児の網膜に低酸素状態が起こるのは、網膜血管の発達の未熟性と共に網膜血管内血液の高濃度血中酸素によるものであつて、その誘因として未熟児に対する酸素投与があげられているが、酸素投与を全く受けていない未熟児にも本症の発症例があることから酸素以外の因子があることが指摘されておりその因子については未だ解明されていない。又新生血管による網膜剥離に至る機序についても未だ解明されておらず、これにつき生化学的研究が進められている。

以上のとおりであつて、本症発症の機序については未だすべてが解明されてはおらず、したがつてその原因のすべてが明らかになつているわけではないが、網膜血管の未熟性と共に網膜血管中の血液内の高濃度血中酸素が原因の一つであつて、未熟児に対する酸素の投与がその誘因となることが多いことについてはほぼ異論をみない。そのため、本症発生予防のため酸素投与の管理をなし、適期に未熟児の眼底検査をなすべき必要性が昭和三九年ころから植村恭夫医師らにより提唱されていた。

なお未熟児は発育未熟のため肺機能が未発達であつてそのため呼吸障害に陥り酸素不足のため死亡ないし脳障害を起こす危険があり、これを防止するため酸素を投与することが必要である。そしてチアノーゼが未熟児に発現した場合それは酸素不足の徴憑であつて、酸素を投与しなければならないとされている。

3  本症の分類

本症は、眼底検査から得られる臨床経過により次の分類がなされており、診断と治療の基準に用いられてきた。

(一)  オーエンスの分類

オーエソス(米国眼科医)は昭和三〇年これまでに以下の分類を確立し、わが国でも後記(二)の分類がなされるまでは右分類が基本とされていた。

(1) 活動期

Ⅰ期(血管期)

網膜血管の迂曲怒張が特徴的。

Ⅱ期(網膜期)

網膜周辺に浮腫、血管新生が見られ、硝子体混濁がはじまり、周辺網膜に限局性灰白色の隆起、出血が出現する。

Ⅲ期(初期増殖期)

限局性の網膜隆起部の血管から血管発芽が起こり、新生血管が硝子体内へ突出し、周辺網膜に限局性の網膜剥離を起こす。

Ⅳ期(中等度増殖期)

Ⅴ期(高度増殖期)

本症の最も活発な時期であり、網膜全剥離を起こしたり時には眼内に大量の出血を生じ硝子体腔を満たす。

(2) 回復期

(3) 瘢痕期 程度に応じて次のⅠないしⅤ度に分ける。

Ⅰ度 眼底蒼白、血管狭細、軽度の色素沈着等を示す小変化

Ⅱ度 乳頭変形

Ⅲ度 網膜の皺襞形成

Ⅳ度 不完全水晶体後部組織塊

Ⅴ度 完全水晶体後部組織塊

(二)  厚生省特別研究補助金による昭和四九年度研究班による分類

右研究班は昭和五〇年に「未熟児網膜症の診断ならびに治療基準に関する研究」を報告した(以下「昭和四九年度研究班報告」という。)。

右報告は、従来用いられていたオーエンスの分類のように段階的な進行をたどる型のほかに昭和四五、四六年以降に発見された急激に進行して網膜剥離に至る型が存在すること、眼底検査法の進歩により従来の倒像、直像検査によるのではなく両眼立体倒像鏡やボンノスコープによる検査が可能となつたことでオーエンスの分類では本症に対応しえなくなり、又本症に対する治療法として後述する光凝固法や冷凍凝固法が登場したが、その適応、施行の時期及び方法を定める上で眼科医間に必ずしも一致していないことから診断基準の統一が要請され、そのために本症の診断基準として統一的な基準の設定が試みられたものである。そして右報告によれば、本症の活動期につき臨床経過、予後の点から次のとおりⅠ型とⅡ型に大別し、瘢痕期を1ないし4度に分類した。

(1) 活動期の診断基準

(ア) Ⅰ型

主として耳側周辺に増殖変化を起こし、検眼鏡的に血管新生、境界線形成、硝子体内に滲出、増殖性変化を示し、牽引性剥離と段階的に進行する比較的緩徐な経過をとるものであり、自然治癒傾向の強い型のもの。

1期(血管新生期)

周辺ことに耳側周辺部に血管新生が出現し、それにより周辺部は無血管帯領域で蒼白にみえる。後極部には変化がないか、軽度の血管の迂曲怒張を認める。

2期(境界線形成期)

周辺ことに耳側周辺部に血管新生領域とそれより周辺の無血管領域の境界部に境界線が明確に認められる。後極部には、血管の迂曲怒張を認める。

3期(硝子体内滲出と増殖期)

硝子体内への滲出と血管及びその支持組織の増殖が検眼鏡的に認められる時期であり、後極部にも、血管の迂曲怒張を認める。硝子体内出血を認めることもある。

4期(網膜剥離期)

明らかな牽引性網膜剥離の認められるものを網膜剥離期とし、耳側の限局性剥離から、全周剥離まで範囲にかかわらず明らかな牽引剥離はその期に含まれる。

(イ) Ⅱ型

主として極小低出生体重児に発症し、未熟性の強い眼におこり、初発症状は血管新生が後極におこり耳側のみならず鼻側にもみられることがあり、無血管領域は広くその領域は透光体混濁でかくされていることが多い。後極部の血管の迂曲怒張も著明となり滲出性変化も強く起こりⅠ型の如き段階的経過をとることも少なく比較的急速に網膜剥離に進む。

(ウ) 混合型

極めて少数であるが、Ⅰ、Ⅱ型の混合型ともいえる型がある。

(2) 瘢痕期の程度分類

1度 眼底後極部には著変がなく、周辺部に軽度の瘢痕性変化(色素沈着、網膜絡膜萎縮など)のみられるもので、視力は正常のものが大部分である。

2度 牽引乳頭を示すもので、網膜血管の耳側への牽引、黄斑部外方偏位、色素沈着、周辺部の不透明な白色組織塊などの所見を示す。黄斑部が健全な場合は良好であるが、黄斑部に病変が及んだ場合は種々の程度の視力障害を示すが、日常生活は視覚を利用して行うことが可能である。

3度 網膜襞形成を示すもので、鎌状剥離に類似し、隆起した網膜と器質化した硝子体膜が癒合し、これに血管がとりこまれ、襞を形成し周辺に向つて走り、周辺部の白色組織塊につながる。視力は0.1以下で、弱視又は盲教育の対象となる。

4度 水晶体後部に白色の組織塊として瞳孔領よりみられるもので、視力障害は最も高度であり、盲教育の対象となる。

(三)  厚生省特別研究補助金による昭和五七年度研究班による分類

右研究班は「未熟児網膜症の分類(厚生省未熟児網膜症診断基準、昭和四九年度報告)の再検討について」を報告した。右報告は、昭和四九年度研究班報告でなされた右(二)の(1)記載の活動期の診断基準を再検討し、その一部を改正するとしたものであり、主たる改正点は次のとおりである。

(1) Ⅰ型について

(ア) 1期の名称を「網膜内血管新生期」と改称し、その説明を「周辺ことに耳側周辺部に発育が完成していない網膜血管先端部の分岐過多(異常分岐)、異常な怒張、蛇行、走行異常などが出現し、それより周辺部には明らかな無血管帯領域が存在する。後極部には変化が認められない。」と改める。

(イ) 2期の説明末尾の「認める。」を「認めることがある。」と改める。

(ウ) 3期の説明に「この3期は、初期、中期、後期の三段階に分ける。初期はごくわずかな硝子体への滲出、発芽を認めた場合、中期は明らかな硝子体への滲出、増殖性変化を認めた場合、後期は中期の所見に牽引性変化が加わつた場合とする。」を付加する。

(エ) 4期の名称を「部分的網膜剥離期」と改称し、その説明を「3期の所見に加える部分的網膜剥離の出現を認めた場合。」と改める。

(オ) 新たに次の5期を加える。

5期(全網膜剥離期)

網膜が全域にわたり完全に剥離した場合。

(2) Ⅱ型について

Ⅱ型の説明を「主として極小低出生体重児の未熟性の強い眼に起こり、赤道部より後極側の領域で全周にわたり未発達の血管先端領域に異常吻合及び走行異常、出血などがみられ、それより周辺は広い無血管帯領域が存在する。網膜血管は、血管帯の全域にわたり著明な蛇行怒張を示す。以上の所見を認めた場合、Ⅱ型の診断は確定的となる。進行とともに網膜血管の蛇行怒張はますます著明になり、出血、滲出性変化が強く起こり、Ⅰ型の如き緩徐な段階的経過をとることなく急速に網膜剥離へと進む。」と改める。

(3) 混合型を廃止し、「きわめて少数ではあるが、Ⅰ、Ⅱ型の中間型がある。」と改める。

(以下右分類によりⅠ型、Ⅱ型ないし本症Ⅰ型、本症Ⅱ型とのみ記することがある。)

4  本症の治療法

本症に対する治療法としては、副腎皮質ホルモン剤の投与等による薬物療法が提唱されたことがあるが、その有効性はいずれも否定され、昭和四二年以降光凝固法や冷凍凝固法が提唱され、これらにより本症の進行を止めうることが経験上認められるに至り、右凝固法が治療法として施行されるに至つた。しかしながら、昭和四五、四六年ころ発見されるに至つたⅡ型(急激に進行する激症型)の存在や昭和四〇年代後半に至つて数多く施行され成功例と報告された症例が自然治癒傾向の高いⅠ型であつて、そのまま放置しておいても自然治癒した可能性のある症例に光凝固法を施行したとの批判的意見が出され、又光凝固法による人工瘢痕が施行を受けた患児の視力にいかなる影響を与えるかを長期的に観察することを要するとされて、光凝固法施行の行き過ぎの抑制とⅠ、Ⅱ型に対する光、冷凍各凝固法の施行の差異を明らかにする診療基準の確立が要請され、昭和四九年度研究班報告において、前記本症の分類と同時に次のとおり治療の一応の基準が出された。

(一)  治療の適応

Ⅰ型においてはその臨床経過が比較的緩徐であり発症より段階的に進行する状態を検眼鏡的に追跡確認する時間的余裕があり、自然治癒傾向を示さない少数の重症例のみに選択的に治療を施行すべきであるが、Ⅱ型においては極小低出生体重児という全身条件に加えて網膜症が異常な速度で進行するため治療の適期判定や治療の施行そのものに困難を伴うことが多い。したがつてⅠ型においては治療の不要な症例に行きすぎた治療を施さないように慎重な配慮が必要であり、Ⅱ型においては失明を防ぐために治療時期を失わぬよう適切迅速な対策が望まれる。

(二)  治療時期

Ⅰ型は自然治癒傾向が強く、2期までの病期中に治癒すると将来の視力に影響を及ぼすと考えられるような瘢痕を残さないので、2期までの病期のものに治療を行う必要はない。3期において更に進行の徴候がみられる時に初めて治療が問題となる。

Ⅱ型は血管新生期から突然網膜剥離を起こしてくることが多いのでⅠ型のように進行段階を確認しようとすると治療期を失うおそれがあり、治療の決断を早期に下さなければならない。この型は極小低出生体重児で未熟性の強い眼に起こるのでこのような条件を備えた例では綿密な眼底検査を可及的早期により行うことが望ましい。無血管領域が広く全周に及ぶ症例で血管新生と滲出性変化が起こり始め、後極部血管の迂曲怒張が増強する徴候がみえた場合は直ちに治療を行うべきである。

(三)  治療の方法

治療は良好な全身管理のもとに行うことが望ましく、全身状態不良の際は生命の安全が治療に優先する。

Ⅰ型に対する光凝固法は、無血管帯と血管帯との境界領域を重点的に凝固し、後極部付近は凝固すべきではなく、無血管領域の広い場合には境界領域を凝固し、更にこれより周辺側の無血管領域に散発的に凝固を加えることもある。

Ⅱ型に対する光凝固法は、無血管領域にも広く散発凝固を加えるが、この際後極部の保全に十分な注意が必要である。

冷凍凝固法も凝固部位は光凝固法に準ずるが、一個あたりの凝固面積が大きいことを考慮して行う。

初回の治療後症状の軽快がみられない場合には治療をくり返すこともありうる。又全身状態によつては数回に分割して治療せざるを得ないこともありうる。

混合型においては治療の適応、時期、方法をⅡ型に準じて行うことが多い。

5  右治療法に対する評価

光凝固法(冷凍凝固法についても同様)は、本症Ⅰ型に対しては自然治癒しない少数の進行性のものに対して適期に、本症Ⅱ型の如く急激に進行する激症型に対してはできるだけ早期に施行すべきものとされているが、その治療機序については明確な解明はされておらず、経験的に本症の進行を止めて治癒せしめることが認められているに止まる。又Ⅱ型に対しては今日においても光凝固法を施行しても失明に至る症例が多く認められる。そして、光凝固法は片眼凝固法等による対照実験がなされていないことや、前記のとおり昭和四〇年代後半に報告された光凝固法成功例の多くがⅠ型に対するものであつて、自然治癒によるものか否かの判定が不可能であるとして光凝固法の有効性は疑問とする批判的見解もあり、又光凝固法の有効性は肯定するが、凝固部位に形成される人工搬痕が将来患児の視力に何らかの障害的影響を与える可能性があり、なるべくならその施行を抑制すべきであるとし、Ⅰ型についてはその殆んどが自然治癒するので光凝固法を施行する例は少なく、Ⅱ型については他に有効な治療法が開発されるまでの間、緊急避難的な治療として光凝固法の施行がなされるであろうとして、光凝固法に対してさほどの評価を与えない有力な見解もある。

五第一審被告の責任の有無

1  医療水準

医師は医療契約に基づき患者の生命、身体の健康の維持、症状の改善を目的とする医療行為に従事するものであつて、右目的達成のため当時の医療水準に基づく臨床医学知識により自己のなしうる最善を尽くすべき医療契約上の義務があるというべきであつて、この義務に違反して患者の生命、身体を害する結果を生じたときは当該医師は医療契約における不完全履行責任を免れないというべきであるが、医師のした医療行為が当時の医療水準に照らして相当と認められる限りは当該医師に義務違反はなく医療契約における不完全履行責任を負うことはない。そしてこのように医師の義務違反の基準となる医療水準は、当該医療行為がなされた時期において、当該医師の専門分野、当該医師が置かれた社会的、地理的環境等を考慮して具体的に判断されるべきである。

2  本件当時(昭和四七年)における本症に関する医療水準

〈証拠〉によれば以下の各事実を認めることができる。

(一)  本症の発症と予防

本症は、酸素投与を受けた未熟児に発症することが臨床経験により明らかとされ、昭和四〇年代初めころまでは本症の発症を予防するには保育器内の酸素濃度を四〇パーセント以下に抑制し、酸素投与の期間もできるだけ短縮すべきであるとされていたが、酸素濃度を四〇パーセント以下に抑制したり、全く酸素を投与しない未熟児にも本症の発症例があることから本症の予防のためにはできるだけ酸素投与を減量ないし中止すべきであるとの提唱がなされ、又本症は未熟児の環境酸素濃度よりも網膜の動脈血酸素分圧(血中酸素濃度)と相関関係があることが指摘されるに至つた。そして本症は眼底の未熟性を素因とするもので生下時体重一五〇〇グラム以下、在胎週数三二週以下の未熟児に発症頻度が高く、最悪の場合には失明に至るが自然治癒傾向の高いことが報告されていた。以上の知見は本件当時において眼科医のみならず産科、小児科医でも未熟児を扱う臨床医間で一般に普及していた。

しかしながら、本症の臨床経過については、先駆的研究者においても昭和四九年度研究班報告による分類がなされるまでは、前記オーエンスの分類を基礎としたもので、本症は段階的進行経過をとるもの(右研究班の分類によるⅠ型)と考えられていた。一部の研究者によつて急激に進行するⅡ型の存在についての発表がなされたのは昭和四七年から同四九年ころであつた。

(二)  眼底検査

眼底検査は本症の臨床経過の診断のための唯一の検査法であるが、昭和四〇年ころから本症を酸素投与の抑止により予防するため本症の早期発見上未熟児出産後一定期間内に定期的眼底検査の実施が必要であるとの報告がなされたが、その検査技術の困難性もあり、一部の先駆的な医療機関(眼科)においてのみ実施されるに止まり、未熟児を扱う一般の産科、小児科の臨床医において右検査に関心を持ち、これを実施するまでには至らなかつた。

ところが、昭和四三年に至り、眼科医永田誠らが光凝固法を本症に試み本症の進行を停止させたことを報告して以降、光凝固法施行の適期を判定するうえで眼底検査の必要性が再認識されるに至り、後記(三)の記載のとおり光凝固法が各地の医療機関で実施されるのと相前後して各地の医療機関で眼底検査が実施されるようになつた。

(三)  本症の治療法としての光凝固法の施行

前項記載のとおり永田誠らが天理よろづ相談所病院において本症に対する治療法として昭和四二年三月にはじめて光凝固法を試み翌四三年四月その施行例二例を報告し、その後も同四五年五月四施行例を追加報告し、同四七年三月それまでの施行例二五例を紹介し、適期に光凝固法を施行すれば本症の進行を停止させ、失明ないし弱視から患者を救うことができるとして本症に対する治療法として光凝固法を提唱した。これを受けて昭和四六年以降本件当時(同四七年)までに、右病院以外でも関西医科大学附属病院、名鉄病院、県立広島病院、九州大学医学部附属病院、鳥取大学医学部附属病院、兵庫県立こども病院、名古屋市立大学医学部附属病院、国立大村病院、松戸市立病院、京都府立医科大学附属病院、聖マリア病院、国立習志野病院、大阪北逓信病院等において光凝固法が施行され、その施行による成功例が眼科専門文献に報告され、産科、小児科の専門文献においても本症に対する最も有効な治療法として光凝固法が存在すること及びその前提として本症を早期に発見するために定期的眼底検査が必要であることが報告、紹介されるに至つた。しかしながら、昭和四九年度研究班報告がなされるまでは、その施行適期、凝固部位等について各研究者が独立の判断で施行している状況であつて、本症Ⅱ型の存在が一部研究者により確認されたのが昭和四五、四六年ころであり、この型の存在と光凝固法による治療実施例が大島健司らによつて発表されたのが同四九年であつて、本件の昭和四七年当時においては、本症に対する診断及び光凝固法による治療基準等について専門的医療機関ないし専門に研究する医師の間においても客観化がはかられたとはいえない状態であつた。

3  第一審被告医院周辺地域における眼底検査及び光凝固法の実施状況〈証拠〉によれば以下の事実を認めることができ、この認定を左右しうる証拠はない。

(一)  眼底検査

未熟児の眼底検査をなしうる眼科医はもともと数が少なかつたところ、前記のとおり昭和四六・四七年以降光凝固法が各地において施行され、眼底検査の必要性が叫ばれるに至つても、対象が取扱い困難な未熟児でかつ出産直後は透光体混濁のため眼底を見ることができないという技術的困難に加えて、本症を診断することができるようになるためには適格な指導者や文献による指針に基づき相当期間未熟児の眼底を観察して経験と研修を積み、眼底検査に習熟する必要があることから、昭和四〇年代後半に至つても未熟児の眼底検査をなしうる眼科医はなお少数であつた。

第一審被告医院の存する兵庫県芦屋市近隣において、県立西宮病院が同県下で初めて昭和四四年一二月から、県立こども病院においても同四五年五月から未熟児に対する眼底検査の実施が開始されたが、その対象は主として右病院入院中の未熟児に限られ、同県下の公立病院で右検査が実施されるに至つたのは同四九年以降であり、芦屋市においても、同年四月ころ以降芦屋市民病院が市内の研修を終えた眼科開業医の応援により右検査を開始し、かつ同病院において市内の産科開業医等からの右検査の依頼に応ずる体制ができた。

なお、兵庫県下では昭和四七年七月兵庫県眼科医会の学術講演で本症がとりあげられたが、同四九年に至つて一般眼科医の未熟児の検査についての研修が本格的に開始されるに至つた。

(二)  光凝固法

光凝固法を施行するには、高価な装置を設置しなければならず、又はその施行のため熟練した技術を要することから施行医療機関は限られていた。

兵庫県下において本件当時(昭和四七年)までに光凝固法を施行していた医療機関としては神戸大学医学部附属病院、市立西宮病院、県立こども病院ぐらいで、そのうち昭和四七年四月に光凝固法装置を購入した県立こども病院において、多数の施行がなされた。

4  本件当時における第一審被告医院周辺地域の本症に関する医療水準

右2、3各記載の事実に前記四記載の事実をも併せて本件当時における第一審被告周辺地域の本症に関する医療水準について考察する。

(一)  本症の知見

本症は生下時体重一五〇〇グラム以下、在胎週数三二週以下の未熟児に多く発症し、最悪の場合には失明に至る重大な結果をもたらす疾患であり、酸素投与を抑制ないし全くしなくてもなお発症の危険があるが、本症の予防のためには酸素投与をできるだけ抑止すべきであるとの知見は第一審被告医院周辺地域においても産科、小児科を含む未熟児を扱う臨床医にも普及していたと推認しうる。

(二)  眼底検査

本症の早期発見のために生後一定期間内に未熟児の眼底検査をする必要があることは先駆的眼科医により強調されてはいたが、これを実施することに困難があり、第一審被告医院周辺地域において産科開業医が眼科医と提携して未熟児の眼底検査を実施しうる診療体制が整備、確立されるに至つたのは本件当時より後の昭和四九年以降である。

(三)  治療法

本症に対する治療法として光凝固法が提唱され、生後一定期間内に未熟児の眼底検査を施行し、本症の発症が確認された場合には適期に光凝固法を施行すれば効果があることが報告され、本件当時、各地の先駆的医療機関(眼科)で光凝固法が施行され数多くの成功例が報告されてはいたものの、なお施行可能な医療機関は限られており、第一審被告医院のある兵庫県下では三か所の大病院程度に止まり、そのうえ本件当時、本症は段階的に進行するもの(後日Ⅰ型と分類される型)しか知られておらず、右成功例とされたのは自然治癒傾向の高いⅠ型に対するものであり、一部の先駆的研究者によつて昭和四五、四六年ころ以降急激に進行する激症型(後日Ⅱ型と分類される型)の存在が確認され、この型に対する光凝固法の施行が発表されたのは昭和四九年であつて、昭和四九年度研究班報告によつて本症に対する診断基準としてⅠ、Ⅱ型に大別分類され、両型に対して異る光凝固法の適応、施行の時期及び方法の基準が一応定立されたことからすれば、それ以前の昭和四七年当時においては、本症全般に対する治療法として光凝固法が専門の眼科医一般においても医療水準として確立されるに至つたものと認めることは相当でない。

5  第一審被告の医療契約上の義務違反の有無

右の4記載の本件当時における第一審被告医院周辺地域の本症に関する医療水準に照らして、第一審原告らの主張する同被告の義務違反の有無について判断する。

(一)  本症発症の予見可能性

(1) 〈証拠〉によれば、同被告は産婦人科を専門とする開業医で、昭和四三年三月に右被告医院を開設し、保育器二台を設置して同医院で出産した未熟児の保育にもあたつてきたが、本件当時、本症に関する医学文献等により、本症は未熟児に対して酸素を投与することにより発症するもので、酸素濃度を四〇パーセント以下に制限してできる限り短期間の酸素投与によつて本症の発症を予防しうることと、第一審原告裕明に対しては前記で認定したとおり二日と一八時間弱位にわたり毎分0.3リットルの低濃度酸素しか投与しないから本症の発生については危惧の念さえ抱かず、したがつて右原告に対して本症に関して何らの措置をもとらなかつたこと、以上の各事実を認めることができる。

(2) しかしながら、前記認定のとおり本症は生下時体重一五〇〇グラム、在胎週数三二週以下の未熟児に発症する危険性があり、酸素濃度四〇パーセント以下の酸素しか投与されていなくても或いは全く酸素投与されていない場合でも発症することがあるとの知見は第一審被告のような産科医にも普及し同被告においても獲得しうるものであつて、第一審原告裕明が生下時体重一三二〇グラム、在胎週数二九週で出産したことから第一審被告としては右原告が本症に罹患する危険性のあることを予見すべきであつたというべきである。

(二)  眼底検査実施義務

第一審原告らは、同原告裕明が適期に光凝固法を受けるために第一審被告において自ら又は眼科医の協力を得て同原告の眼底を検査すべき義務があつたと主張する。

第一審被告が本症につき何らの措置もとらなかつたことは右(一)で認定したとおりである。しかしながら、眼科医でない同被告自らが右検査を実施することができないことは明らかであり、又同被告医院近隣地において産科開業医が眼科医と提携して未熟児の眼底検査を実施しうる診療体制が確立されるに至つたのは昭和四九年以降であることは既に認定したとおりであるから、本件当時第一審被告が眼科医の協力を得て未熟児の眼底検査を実施することは不可能に近かつたものといわざるをえない。のみならず、眼底検査は第一審原告らも主張するように本症に対する治療法である光凝固法の施行の必要性及びその適期を決定するためになされるものでそれ自体は何らの治療効果もないものであるから、光凝固法が本症に対する有効な治療法として確立されてはじめて眼底検査実施義務が成立するというべきであるところ、前記説示のとおり本件当時、光凝固法は未だ有効な治療法として確立されてはおらず、したがつて第一審被告において第一審原告裕明の本症の発症を予見すべきであつたとしても、同被告に対し本件当時のような眼底検査義務を課すことはできないといわざるをえない。

よつて第一審原告らの右主張は失当である。

(三)  眼底検査及び光凝固法施行のための転医義務と転医のための説明義務

(1) 第一番原告らは第一審被告に対し本症の早期発見と治療のため第一審原告裕明をしてしかるべき時期に眼底検査及び光凝固法の実施可能な医療機関に転医させるか或いは第一審原告らにその旨を説明すべき義務があつたと主張する。

そして第一審被告が第一審原告裕明につき本症に関し何らの措置をもとらなかつたことは右(一)で認定したとおりである。

(2)  ところで、医師が医療行為をなす過程で、自己の専門分野以外の領域に属する疾患が患者に発症しうることを予見しうる場合、それが可能であるならばその疾患に関する専門医に転医させ、それが出来ない場合であつても患者又はその家族に説明して患者をして専門医による診察、治療を受ける機会を与え、もつて当該疾患の発症、拡大を防止すべき医療契約上の義務があるというべきである。しかしながら、右両義務は、いずれも予見される疾患の発症、拡大を防止する結果回避のための義務であるから、その疾患に対する治療法が当該専門分野において有効な治療法として確立していることが右両義務発生の要件であるというべきである。

これに反して第一審原告らは、原判決説示を採用して、右のような説明義務については、その発生要件として当該専門分野において治療法が有効なものとして確立されている必要はなく、専門医により有効であると報告されつつある治療法が存在し、そのことの知見が当該専門分野の医師に限らず一般臨床医間にまで普及していることをもつて足りると主張する。

しかしながら、今日の高度に発達し専門化した医学・医療において次々と新しい治療法が開発、実施される中で、後にその有効性が否定されるとか、場合によつては患者に悪い影響を与えることが発見されることもありうるのであり、新治療法の提唱からその研究、追試、検討を経てこれが当該専門分野において一般的に臨床医がとるべき治療法として確立されるまでは、或いは少なくとも当該専門医療機関の医師ないし専門的研究に従う医師の間において診断・治療基準の客観化がはかられるまでは、当該治療に関する専門分野の臨床医にとつても新しい治療法を施行すべき法律上の義務は生じないものと解されるをえず、ましてや当該治療法の専門外の臨床医において新規治療法を知得し、これを受けさせるための転医、説明をすべき法律上の義務があるとすることは到底できないから第一審原告らの右主張は失当である。

(3)  しかして、本件昭和四七年当時においては、本症に対する光凝固法による治療は、未だ有効な治療法として確立されたものではなく、専門的医療機関ないし専門的研究に従事する医師の間においてさえ診断・治療基準について客観化されていたとはいえないことは上来説示するところから明らかであるから、第一審原告らが主張するような光凝固法による本症の治療を前提とする転医、説明義務が第一審被告に存したと認めることはできず、よつて第一審原告らの右(1)の主張も採用しえない。

(4) なお、前説示の本症の症状、光凝固法の治療法の治療効果、第一審原告裕明の生下時体重、在胎週数及び生後八一日目には既に両眼とも白色瞳孔を呈しオーエンス分類の瘢痕期Ⅴ度の程度にまで達していた事実並びに〈証拠〉によれば、同原告における本症の進行は急激なものではあつて本症Ⅱ型である疑があり、昭和四七年当時においては本症Ⅱ型については少数の先駆的研究者がこれを発見し、光凝固法を試みた程度であり、現在においてもその治療は困難とされていること前記のとおりであつてみれば、同原告において仮に光凝固法による治療を受けたとしても治癒する蓋然性は少なかつたものと認めざるをえない。

又第一審原告らが本件当時既に施行されていた光凝固法について何らの知識も与えられないままに第一審原告裕明が両眼を失明するに至つたものではあるが、光凝固法が本症に対する治療法として本件当時未だ確立されてはおらず、よつていわゆる医療水準に達していたものとはいえない以上、右(3)の判断を動かすことはできない。

6  以上によれば、第一審原告らの主張する本件医療契約上の第一審被告の義務違反はいずれも認めることはできず、よつて同被告に右契約におけず不完全履行責任を問うことはできないものといわざるをえない。

六結論

以上の次第で、第一審原告らの本訴請求は、第一審原告に本件医療契約上の不完全履行責任が認められない以上その余を判断するまでもなく失当としてこれを棄却すべきである。

してみれば、原判決中第一審原告裕明、同嘉明、同寛子の本訴請求の各一部を認容した部分は不当であつてこれに対する第一審被告の控訴は相当であるから、右控訴に基づき原判決中右部分(第一審被告敗訴部分)を取り消して右第一審原告らの右部分にかかる各請求部分を棄却し、原判決中第一審原告らの本訴請求を棄却した部分は相当であつてこれに対する第一審原告らの控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条、九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(石井玄 高田政彦 礒尾正)

別表1、2〈省略〉

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